タデイ・ポガチャル、人間的な素顔

山田 健一が日本のサイクルロードレースファンにお届けします。

タデイ・ポガチャル、人間味あふれる春

アムステルゴールドレースでの敗戦、そしてパリ〜ルーベでの落車からの2位。無敵のサイボーグかと思われたタデイ・ポガチャルにも、人間らしい苦悩やドラマがある。しかし、その姿こそが、彼の真の凄みを浮き彫りにしているのではないだろうか。春のクラシックシーズンを戦い終えた彼の姿を、欧州の現場から見つめてきた私の視点でお届けしよう。

不可能への挑戦、アムステルゴールドレース

タデイ・ポガチャルが今春掲げた目標の一つが、アルデンヌクラシックの「トリプティク（三部作）」、すなわちアムステルゴールドレース、フレーシュ・ワロンヌ、リエージュ〜バストーニュ〜リエージュの3連勝だった。かのエディ・メルクスですら成し遂げられなかった偉業だ。2023年にアムステルとフレーシュを制した彼にとって、それは決して絵空事ではなかっただろう。

アムステルゴールドレースでは、その挑戦への強い意思が垣間見えた。勝負所のコーベルクの2回目の登り、残り48km地点でのアタックだ。ジュリアン・アラフィリップの動きに反応して飛び出すと、すぐに単独となる。45km地点からのロングアタック。普通であれば、いや、タデイ・ポガチャル以外であれば、「早すぎる」と誰もが思うだろう。彼自身もレース後、「ジュリアンともっと長く一緒に走れると思ったが、5km後にはもう一人だった。最初の攻撃で少し興奮しすぎたかもしれない」と正直に語っていた。

しかし、その無謀とも思えるアタックが、彼という選手の真骨頂でもある。単独で30km以上も走り続け、勝利は目前かと思われた。だが、今年のレースには強力な向かい風が吹き荒れていた。これが彼の体力をじわじわと削っていく。「風が強すぎた。高くついたね。タイム差を広げられず、待つことにした。スプリントで勝負しようと。リスクのある賭けだったが、結局2位だった」と彼は振り返る。残り8kmでレムコ・エヴェネプールとマティアス・スケルモースに追いつかれ、スプリント勝負に持ち込まれた結果、マティアス・スケルモースの前に屈した。潔く「最終的にマティアス・スケルモースが一番強かった」と勝者を称える姿には、王者の風格さえ漂っていた。レースには敗れたが、表彰台でジョッキに入ったビールを一気飲みする姿は、会場のファンから最大の拍手を受けていた。これぞタデイ・ポガチャル、と唸らされた瞬間だった。

念願のパリ〜ルーベ初挑戦、そして落車

もう一つの大きな挑戦は、パリ〜ルーベへの初参戦だった。モニュメントレース全制覇を目指す彼にとって、「北の地獄」は避けて通れない道だ。数年間、その特殊性から出場を見送ってきた彼が、満を持して石畳に挑んだ。UAEチームエミレーツ・XRGの強力なサポートを受け、万全の準備で臨んだ彼は、そのアグレッシブな走りでレースを盛り上げた。

マチュー・ファンデルプールとの伝説的な一騎打ちになるかと思われた残り38km地点。コースでも最もテクニカルな石畳区間の一つで、まさかの落車に見舞われた。原因は、先行するオートバイとの接触だという。勝利をかけた最高の局面でのアクシデント。誰もが意気消沈するだろう。しかし、タデイ・ポガチャルは違った。すぐに立ち上がり、歯を食いしばって再びペダルを踏み始めたのだ。

結局、彼はマチュー・ファンデルプールに次ぐ2位でフィニッシュラインを通過した。勝利は逃したが、彼の見せた不屈の精神と、純粋な強さ、そして何よりも「挑戦する」という姿勢は、パリ〜ルーベの権威ある歴史を知る古参ファンをも唸らせた。「このパフォーマンスなら、将来きっと勝てる」。そう確信したファンは多かったはずだ。レース後のルーベのヴェロドロームで、泥だらけのジャージのままシャワーを浴びる彼の姿は、このレースの厳しさと美しさを象徴しているようだった。

敗北が彩る伝説

アムステルゴールドレースとパリ〜ルーベでの「敗戦」だけを切り取れば、彼の春は期待外れだったように映るかもしれない。しかし、今シーズンのこれまでの成績を見てほしい。ストラーデ・ビアンケでは圧倒的な独走勝利、ツール・デ・フランドルでは連覇を達成し、ミラノ〜サンレモでも3位に入っている。そして、UAEチームエミレーツ・XRGツアーでは総合優勝。これらの輝かしい勝利に、アムステルゴールドレース2位、パリ〜ルーベ2位が加わるのだ。

この後には、アルデンヌクラシックの残り二つ、フレーシュ・ワロンヌとリエージュ〜バストーニュ〜リエージュが控えている。そして、彼の最大の目標であるツール・ド・フランスでの王座奪還。さらに、ほぼ確実視されているブエルタ・ア・エスパーニャへの初出場で、グランツール全制覇に挑む可能性もある。もちろん、世界選手権や得意のイル・ロンバルディアも視野に入っているだろう。

まだ26歳という若さで、タデイ・ポガチャルはすでにツール・ド・フランス3勝（2020, 2021, 2024）、ジロ・デ・イタリア1勝（2024）、イル・ロンバルディア4連覇（2021-2024）、リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ2勝（2021, 2024）、ツール・デ・フランドル2勝（2023, 2025）、ストラーデ・ビアンケ3勝（2022, 2024, 2025）、そして世界選手権での勝利（2024）を含む、驚異的なパルマレスを築き上げている。プロ通算勝利数は93に達し、まさに歴史上の偉人たちと肩を並べつつある。

しかし、彼を単なる「勝利マシーン」にしていないのが、今回のアムステルやルーベで見せたような人間味だ。無敵ではない。失敗もするし、アクシデントにも見舞われる。でも、決して諦めない。すぐに立ち上がり、再び前を向く。その飽くなきハングリー精神と、挑戦し続ける勇気こそが、多くのファンを魅了してやまない理由なのだ。完璧すぎないからこそ、感情移入できる。そう、「そうだったのか！」と思わせる彼の人間的な一面が、さらにその伝説を彩っていくのである。

次なる挑戦へ

敗北は、彼のキャリアに新たな物語を加えただけだ。タデイ・ポガチャルの挑戦は終わらない。グランツール、そして残るモニュメント。彼が次にどんな驚きを見せてくれるのか、今から待ちきれない気持ちでいっぱいだ。さあ、次なる舞台での彼の走りから、片時も目が離せない。