ルチョ・ヘレーラ

伝説のエスカラバホに暗い影 ～ルチョ・エレーラ、強制失踪事件への関与疑惑～

サイクルロードレースの世界において、「エスカラバホ」と呼ばれるコロンビアのクライマーたちは、常に特別な輝きを放ってきました。彼らがヨーロッパの山岳で繰り広げるアタックは、多くのファンの心を掴んで離しません。そして、その「エスカラバホ」たちの道を切り拓いたパイオニアこそ、ルチョ・エレーラその人です。ブエルタ・ア・エスパーニャ総合優勝、ツール・ド・フランスやジロ・デ・イタリアでの区間優勝、そして三大グランツール全てでの山岳賞獲得という輝かしいキャリアを持つ彼が、今、思わぬ形でメディアの注目を浴びています。それは、彼の現役時代の栄光とはかけ離れた、非常に重い疑惑に関わるものです。

ポディウムから法廷へ？ 英雄の知られざる引退後

ルチョ・エレーラは、1990年代初頭に現役を退いた後、表舞台から姿を消し、静かな生活を送っていました。しかし、それは単に隠遁したわけではありません。彼は自転車で稼いだ資金を賢く運用し、実業家として手腕を発揮していたのです。特に、故郷であるフサガスガ周辺の土地や不動産、さらには運送業やホテル経営にも投資し、多角的な資産を築いていました。自身が直接農作業をするわけではないにしても、信頼できる従業員を置き、まるでアルプ・デュエズでのアタックを仕掛けるかのように、細部にわたって管理・監督していたと言います。ボゴタにも複数の不動産を所有し、賃貸や管理を行っていたとのこと。2015年には再婚し、穏やかな「引退生活」を送っていると語っていましたが、実際には常にアクティブなビジネスマンであったことが伺えます。まさに、フィールドを変えても「ルチョ」らしさを失っていなかった、と言えるのかもしれません。

20年前の悲劇と元準軍事組織メンバーの証言

そのルチョ・エレーラの名前が、突如として強制失踪事件と結びつけられたのです。フサガスガ第4刑事裁判所は、2002年に発生した4人の近隣住民の失踪事件について、エレーラに対する正式な捜査開始を命じました。この衝撃的な展開の引き金となったのは、元準軍事組織「カサナレ農民自衛隊」のメンバーである「オヒートス」と「メヌデンシアス」と名乗る人物たちの証言です。彼らは、エレーラが被害者たちの写真や情報、そして現金を提供し、彼らの排除を指示したと主張しているのです。その理由として、エレーラが被害者たちをゲリラと関係があると疑っていた、と証言されています。

元準軍事組織メンバー「オヒートス」の証言は、事件の生々しさを伝えています。「ルチョ・エレーラ氏は私に飲み物を勧め、マニラ封筒を二つ渡した。一つには集めるべき4人の写真が入っていた。彼らはゲリラの民兵で、彼を誘拐しようとしていると言っていた。もう一つの封筒には4000万（コロンビアペソ）が入っていて、『もし必要なら、ピストルやバイクを買うのに使ってくれ』と言った。その人たちは彼の畑に隣接していたんだ」。さらに、「メヌデンシアス」は「2人を荷台に、2人を前に乗せた。ノビジェロスからアグアディータへの道の脇、道路沿いの畑で彼らを人間扱いせず、首を切り、ナタでバラバラにした」と、目を覆うような詳細を語っています。メディアによっては、エレーラが誘拐を恐れていたのではなく、隣接する土地を奪うことが真の目的だった可能性を示唆する報道もあり、被害者はゲリラではなく無関係な農民だった、という証言も飛び出しています。行方不明となっているビクトル・マヌエル・ロドリゲス・マルティネス、ホセ・デル・カルメン・ロドリゲス・マルティネス（兄弟）、ゴンサロ・ゲレーロ・ヒメネス、ディウイセルド・トーレス・ベガの4人の遺体は、エレーラの所有地の一つに埋められたとも言われています。コロンビア検察は本件を人道に対する罪と位置付けており、時効はありません。

沈黙を破った英雄の言葉

報道が先行する中、ルチョ・エレーラは数日間沈黙を守っていましたが、ついに口を開きました。Wラジオの取材に対し、「当局には全て説明するつもりだが、報道されている事実とは無関係であると断言できる」と、落ち着いた口調で語りました。その後、彼は正式な声明を発表し、容疑を強く否定しました。彼は、自身への告発は、司法取引を求めている服役中の人物たちによる虚偽の証言であるとし、「法を逸脱した武装組織に属する個人たちの主張であり、私はこれを断固として拒否する」と述べました。自身の人生をスポーツと誠実な仕事に捧げてきたと強調し、実業家としても恐喝や脅迫の被害に遭ったことがあり、それらは常に当局に報告してきたと主張しました。エレーラは既に検察に協力する意思を表明しており、今後の司法の判断を待つとして、これ以上のメディアへのコメントは控える意向を示しました。「今日から、私は司法に協力し、いかなる司法の要求にも応じる揺るぎない意思を表明した」と締めくくっています。

スペインでの特別な絆とファン心理

スペインでは、小柄ながら山岳で躍動したあの選手の姿を今も多くのファンが鮮明に記憶しています。ブエルタ・ア・エスパーニャでの総合優勝は、スペインのサイクルロードレース史にも深く刻まれた出来事です。ルチョ・エレーラは、その勝利だけでなく、スペインに長期滞在し、現地のジャーナリストやチーム関係者、そしてファンと特別な関係を築きました。彼の存在は、当時のスペインのサイクルロードレース界に新たな風を吹き込んだと言えるでしょう。だからこそ、今回の報道がもたらした衝撃は計り知れません。「あのルチョが？」という驚きと、信じたくないという複雑な感情が渦巻いているはずです。コロンビアが長年抱えてきた武力紛争という闇に、まさかスポーツ界の英雄が巻き込まれるとは、誰も予想だにしなかったことでしょう。

ジャーナリストのギー・ロジェは、著書『ベルナルとコルディレラの息子たち～エスカラバホの国への旅～』の中で、ルチョ・エレーラをコロンビアの偉大な英雄の一人と位置づけています。その中で、彼の輝かしいキャリアだけでなく、2000年にFARCによって誘拐されたという、彼の人生におけるもう一つの劇的なエピソードについても触れています。「彼らはお金を要求した。母が気づいて電話に駆け寄ったが、もう遅かった。ライフル銃を突きつけられ、車に押し込まれた。全てが終わったんだ」と、エレーラ自身がその時の状況を振り返っています。24時間後、彼は目隠しをされ、カラシニコフを向けられたまま解放されました。英雄が経験したこの過酷な体験もまた、彼の人生の「影」の部分を物語っていると言えるでしょう。

伝説と司法の狭間で

コロンビアという国は、何十年にもわたる武力紛争の傷跡とともに生きてきました。その中で、スポーツの英雄が、その最も暗いエピソードの一つである強制失踪事件に関与したとされる事態は、国民にとって非常に痛ましい矛盾を突きつけています。これは単に司法の問題にとどまらず、時代を画したサイクリストを中心に築き上げられた国民的英雄譚、集合的な記憶にも問いを投げかけています。ルチョ・エレーラは容疑を否定し、無実を証明すると述べています。司法の捜査によって十分な証拠があるかどうかが判断されるでしょう。しかし、それまでの間、コロンビアのサイクルロードレース界、そして彼がヨーロッパで輝く姿を見てきた世界中のファンは、当惑と尊敬、そして困惑の入り混じった感情でこの事態を見守っています。伝説は揺るぎませんが、少なくとも現時点では、その物語に暗い影が差し込んでしまったことは否めません。今後の司法の行方から目が離せませんね。