ユーゴ・クーレヴィッツのコラム：ロマン・バルデが長年抱えていた一つの大きな問題

ロマン・バルデ、一つの時代が静かに幕を閉じる – 終わりの始まりを告げるドーフィネの舞台裏

プロトンを長年彩ってきた一人のフランス人クライマー、ロマン・バルデが、プロキャリアの終焉を告げるクリテリウム・デュ・ドーフィネのスタートラインに立ちました。彼の故郷であるオーヴェルニュ地方ブリウドから始まるこのレースは、彼にとって最後のグランツールであり、そして最後のレースとなる。フランスのファンが抱き続けた「救世主」としての期待と、彼自身が求めた「自由な走り」。その葛藤と解放の軌跡を、長年彼を見続けてきた私、山田健一の視点から紐解いていこうと思います。彼のキャリアは、まさにフランスのサイクルロードレース界が抱える「光と影」を映し出す鏡のようなものだったのです。

「救世主」の誕生とフランスの熱狂

私が初めてロマン・バルデをライブで見たのは、彼がデカトロン・AG2Rラモンディアール チームのネオプロとして出場したアムステル・ゴールド・レースでした。彼は早めの逃げ集団に加わり、最後の逃げ切り選手としてゴールまで9kmの地点まで粘り切ったのです。「これは大物になるぞ」――そう直感した私は、レース後に彼に声をかけました。「プロとして大きなキャリアが待っていると思うよ」と。彼は「本当にそう思いますか？」と、はにかむように問い返したのを今でも覚えています。その日のオランダ・リンブルフの地で、私はフィリップ・ジルベールを彷彿とさせる、本能的なレース感覚を持つ若き才能を目撃したのです。まさに磨かれるべき原石であり、モニュメントレースを制する素質を秘めている、そう確信しました。

しかし、彼のキャリアはフランスのサイクルロードレース界が抱える宿命と深く結びついていきます。2012年、同世代のティボー・ピノが22歳でツール・ド・フランスのステージを制すると、フランス国民は再び「救世主（Heiland）」の出現を信じ始めました。そしてその翌年、バルデが「ラ・グラン・ブークル」（ツール・ド・フランスの愛称）でデビューし、15位という成績を収めると、期待はさらに高まります。2015年には「スーペル・コンバティフ」（敢闘賞）に選ばれ、フランスメディアはピノとバルデの「デュエル」に熱狂しました。彼らは、ジャック・アンクティル対レイモン・プーリドールという伝説的なライバル関係の再来を夢見ていたのです。

タイムトライアルの呪縛とキャリアの重圧

しかし、このフランスの「救世主」たちには、共通の大きな弱点がありました。それはタイムトライアルです。彼らは二人とも、集団から飛び出して山岳を駆け上がる力は素晴らしいものの、平坦な独走能力、特にタイムトライアル（TT）では大きな課題を抱えていたのです。ツール・ド・フランスの本部であるパリでは、この課題を解決しようとでもいうかのように、TTの距離を大幅に短縮したり、チームTTを導入したり、あるいは山岳TTを盛り込んだりするようになりました。公式な説明は「TTスペシャリストがクライマーに対してあまりに大きなタイム差をつけてしまうから」というものでしたが、その裏にはフランス人クライマーに総合優勝のチャンスを与えたいという、ある種の“忖度”があったと見て間違いないでしょう。

その結果、2016年にはロマン・バルデは総合2位に入り、クリストファー・フルームに大きく遅れはしたものの、雨のサン＝ジェルヴェ・モンブランでステージ優勝を飾りました。フランスの熱狂は頂点に達し、翌2017年には最終日前日のTTを前に、フルームにわずか23秒差という位置につけたのです。しかし、マルセイユでの比較的短いTT、特にノートルダム・ド・ラ・ギャルドへの登りを含むコースで、バルデは文字通り「足が止まって」しまい、フルームに2分ものタイムを失い、リゴベルト・ウランにも抜かれて総合2位の座も明け渡してしまいました。この時、彼は総合優勝に最も近づいたものの、同時に自身の限界も痛感したことでしょう。デカトロン・AG2Rラモンディアール チームのエースとして高額な報酬を得ていた彼ですが、内心では「国の希望」という重圧に苦しんでいたのです。

移籍がもたらした「自由」と新たな輝き

2019年のクリテリウム・デュ・ドーフィネ前、インタビューの場で私は彼に単刀直入に尋ねました。「総合順位はもういいじゃないか。ワンデーレースに目標を絞ってみてはどうか」。彼は意味深な視線を向けましたが、何も答えませんでした。ツール・ド・フランスの重圧は彼を蝕み、チームの期待もまた、あまりに重かったのです。

しかし、彼のキャリアに大きな転機が訪れます。2020年2月に父親となり、3月には新型コロナウイルスが世界を麻痺させました。ビジネス・マネジメントの修士号を持つバルデは、この期間にじっくりと自らのキャリアと向き合い、9年間所属したデカトロン・AG2Rラモンディアール チームを離れ、イワン・スペケンブリンク率いるTeam DSMへの移籍を決断したのです。このチームは「プロトコル重視」で、選手がバイクをいじることすら許されないと言われるほどでした。そんなチームで、バイクいじりが好きなバルデが馴染めるのか？誰もがそう思ったことでしょう。

ところが、彼はTeam DSMで瞬く間に居場所を見つけました。ジロ・デ・イタリアやブエルタ・ア・エスパーニャを楽しみ、ワンデーレースの魅力も再発見したのです。スペケンブリンクは彼にこう言ったそうです。「君は勝つ必要はない。ただ、最高の君の姿を見せてほしい。結局のところ、これはただのレースなのだから」。この言葉は、バルデを長年の重圧から解放しました。彼は再び、計算機なしの「オールドスクール」な、本能的な走りを披露するようになったのです。2023年のブエルタでは、ホテルで私に「Jumbo-Vismaがレムコ・エヴェネプールを圧倒するだろう」と予言し、その通りにツールマレー峠で実現しました。翌日にはそのエヴェネプールと共にアタックし、ラルラ・ベラグアの山頂で2位。2018年インスブルックの世界選手権や、2024年リエージュ〜バストーニュ〜リエージュでも2位に入るなど、新たな輝きを見せました。

夢のマイヨ・ジョーヌと「真の姿」

そして、彼のキャリアのまさに「オルゲルプンクト（終止符）」となる出来事が起こります。2024年ツール・ド・フランスの開幕ステージ、彼は若きチームメイト、フランク・ファンデンブルークと逃げ切り、ファンデンブルークがステージ優勝とマイヨ・ジョーヌを譲るという、感動的なシーンを演じました。この日、彼は「計算機なしで、純粋な本能でアタックした」と語り、フランスの新聞「レキップ」には「自分は本当の意味での総合系選手ではなかった。グランツールでトップ10に入るだけでは満足できなかった」と本音を吐露しました。長年の重圧から解放された彼が、本来の「アタッカー」としての姿で掴んだマイヨ・ジョーヌは、彼にとって最高の栄誉だったに違いありません。

しかし、キャリアの最後のグランツールとなった2024年のジロ・デ・イタリアでは、ボルミオでイサーク・デルトロにステージ勝利を阻まれ、全グランツールでのステージ勝利という夢は叶いませんでした。これにより、彼はリシャール・ヴィランク、シルヴァン・シャヴァネル、ティボー・ピノといった、プロキャリアのスタート時に「シャンゼリゼで黄色いジャージを着る」と期待されながらも、それが叶わなかった「永遠の有望株」クラブに加わることになったのです。

彼のキャリアは、フランスが求める「偉大な総合系選手」という枠には収まらなかったかもしれない。しかし、彼は「気品あるペダラー（pédaleur de charme）」として、その謙虚さ、攻撃性、そしてフェアプレー精神で、多くのファンを魅了しました。ワットメーターの数値が全てではないことを証明した彼の走りは、まさにサイクルロードレースの原点を見るようだった。

さあ、ブリウドから始まる最後の旅路。ロマン・バルデは、フランスの次世代選手、レニー・マルティネス、レミー・グレゴワール、ポール・セクサスらに、そのバトンを託す。彼らがどんな物語を紡いでいくのか、そしてフランスのサイクルロードレースが再び頂点に立つ日は来るのか。バルデが残した足跡は、きっとその道しるべとなることだろう。彼の最後の雄姿を目に焼き付け、そして未来への期待を胸に、私たちはまた次のレースへと目を向ける。...