ヒューゴ・コーレヴィッツのコラム：レムコとワウト、避けられぬ試練

ベルギー選手権：義務か、それとも誇りか？

「ツール・ド・フランスの英雄でさえ、出場は義務付けられている」――この言葉が、ベルギー選手権の全てを物語っていると言っても過言ではありません。ベルギー国内の自転車競技連盟、通称「ベルジャン・サイクリング」は、所属選手に対し、よほどの理由がない限りナショナル選手権への出場を義務付けています。これは、あのレムコ・エヴェネプールやワウト・ファンアールト Aertといった、世界のスーパースターたちにも容赦なく適用されるルールなのです。ツール・ド・フランス開幕直前という多忙な時期にもかかわらず、彼らがこの「お祭り」に参加せざるを得ないのはなぜか？そこには、ベルギーという国が自転車競技に寄せる並々ならぬ情熱と、独自の歴史的背景が深く関係しています。

「義務」としてのナショナル選手権が持つ意味

ベルギーのナショナル選手権は、単なる国内王者を決めるレースではありません。それは、選手、チーム、そしてファンにとって、サイクリングというスポーツの「本質」へと立ち返る場なのです。ビンシュのグランプラスには、イヴ・ランパールト、レムコ・エヴェネプール、ティム・メルリール、ヤスペル・フィリプセン、ピーテル・セリー、アレック・セガールトといったトップ選手たちのファンクラブがバスを仕立てて押し寄せます。想像してみてください、日本のロードレースで、これほどまでにファンが熱狂する光景を。まるで村祭りかのような熱気と、選手とファンの距離の近さ。これこそが、ベルギーのロードレース文化の根幹をなす「フォークロア」であり、私たちが欧州のレースを愛してやまない理由の一つでもあります。

ベルジャン・サイクリングは、この伝統と商業的価値を守るため、ナショナル選手権への出場を「義務」と定めています。病気や緊急の家族事態といった正当な理由がなければ、8日間の出場停止処分が科されるという厳しさ。これは、他の国ではあまり見られない制度です。フランスやイタリア、オランダといった自転車大国でも、ナショナル選手権は開催されますが、ベルギーほどの強制力はありません。過去にはJurgen Van den Broeckのように、ツール・ド・フランス準備を優先するため、筋肉の張りや風邪を理由に欠場を繰り返した選手もいましたが、近年ではワウト・ファンアールト Aertが膝の痛みを理由に欠場したものの、一週間後のツールで大活躍したり、レムコ・エヴェネプールが喉の痛みを理由に欠場したりと、連盟の頭を悩ませるケースも出てきています。しかし、それでもベルジャン・サイクリングは毅然とした態度を崩しません。「病気なら仕方ない。だが、正当な理由がなければならない」――この信念が、ベルギー選手権の価値を守り続けているのです。

グランツールとナショナル選手権の板挟み

ナショナル選手権のタイミングは、毎年、選手たちのツール・ド・フランス準備と衝突します。特に総合優勝を狙う選手たちにとっては、この時期に高地合宿でトレーニングを積むことが何よりも重要です。イタリアのリヴィーニョ、フランスのティーニュ、イゾラ2000、スペインのアルレニス・シエラ・ネバダといった場所で、彼らは人知れず汗を流しているのです。

この問題は今に始まったことではありません。ツールを5度制したジャック・アンクティルでさえ、フランス選手権には3度しか出場せず、一度も優勝していません。しかし、近年、この問題はさらに深刻化しています。UAE Team Emiratesのように、ツール出場チームの選手をナショナル選手権には派遣しない方針を採るチームも出てきています。彼らにとっては、リールでのグランデパールに向けて、最後の調整を滞りなく進めることが最優先事項なのです。その結果、Tadej Pogacar、Primoz Roglic、ヨナス・ヴィンゲゴーといった総合系トップ選手たちは、ナショナル選手権を「ツールへのアリバイ」として欠場する傾向にあります。昨年のツール・ド・フランス総合トップ10で、今年のベルギー選手権に出場するのはレムコ・エヴェネプールただ一人となりそうです。

驚くべきことに、ジュリアン・アラフィリップでさえ、今回はフランス選手権への出場を見送りました。彼はこれまで10回もフランス選手権を走ってきましたが、所属するTudor Cycling Teamがツールを優先するという決断を下したのです。かつての名選手クリストファー・フルームは、40歳になった今も現役ですが、イギリス選手権には15年間も出場していません。彼にとって、もはやナショナルタイトルは「取るに足らない」ものなのかもしれません。この事実もまた、ナショナル選手権の価値がチームや選手によっていかに異なるかを示しています。

ナショナルチャンピオンジャージの重みと価値観の相違

Patrick Lefevere率いるチーム（AGインシュランス・スーダル チーム – Quick-Stepの前身を含む）が常に多くのナショナルチャンピオンジャージをチームに抱えていたことを、彼は誇りにしていました。しかし、UAE Team Emirates-XRGやBahrain-Victoriousといった新興チームは、ナショナルジャージの価値をあまり理解していないように見えます。アラブ首長国連邦のチャンピオンジャージが、国際的にどれほどの意味を持つか、という現実もあります。

一方で、ベルギーのような伝統的な自転車強国では、ナショナルタイトルを獲得することに大きな意味があります。AGインシュランス・スーダル チーム – Quick-Stepやロットといったチームでは、ナショナルタイトル獲得に最大5万ユーロものボーナスが設定されているほどです。Groupama-FDJのCEOであるマルク・マディオは、フランスのトリコロールジャージに並々ならぬこだわりを持ち、スポンサー名を一切入れないという徹底ぶり。あの3度ベルギーチャンピオンに輝いたStijn Devolderでさえ、RadioShack-Leopard時代に、自分のトリコロールジャージが十分な威厳を放っていないと感じ、最初のジャージを着用することを拒否したという逸話もあります。

こうしたナショナルジャージへの敬意とは対照的に、UAE Team Emirates-XRGのように、国旗のデザインを最小限にし、スポンサー名を大きく掲げるチームも存在します。かつてMapeiのボスだったジョルジオ・スクインツィも、チャンピオンジャージにはあまり興味がなく、自社の象徴的なデザインのチームジャージを優先していました。しかし、それでも彼はTom クレア・スティールスがベルギーチャンピオンジャージを着て走ることを3度も許容せざるを得ませんでした。彼が最後にタイトルを獲得した際、Landbouwkrediet-Colnagoチームは狂喜乱舞したものです。ワースランダー（Tom クレア・スティールスの出身地）の彼が、ベルギーチャンピオンジャージを着てツールで9つのステージ優勝のうちの1つを飾った姿は、今も私たちの記憶に鮮明に残っています。

伝統的な自転車強国の選手にとって、ナショナルタイトルはキャリアの頂点の一つであり、最高の栄誉です。もちろん、絶対的なトップ選手にとっては、それが「執着」の対象ではないかもしれませんが、それでもパルマレスに刻んでおきたい重要な実績であることに変わりはありません。まさに、ヤスペル・フィリプセンが今、ビンシュで狙っているのはそれなのです。彼はプロとしてのキャリアで初めての選手権をビンシュで走りました。そして今、この「炎のハム」（ヤスペル・フィリプセンの愛称）は、日曜日に7度目のナショナルタイトル獲得を目指します。ティム・メルリール、Meeus、ワウト・ファンアールト Aert、そしてレムコ・エヴェネプールといった強敵を再び乗り越え、念願のトリコロールジャージを身につけてツールに臨めるか。

未来への問いかけ：ベルギーモデルは広がるか？

ベルギーのナショナル選手権が「選択」ではなく「義務」であるというこのモデルは、他の国にも広がるべきなのでしょうか？ツール・ド・フランスの重要性が増す中で、ナショナル選手権の存在意義が問われることもありますが、ベルギーの例は、伝統と価値を守るための強力な手段となり得ることを示しています。日本のロードレース界にとっても、学ぶべき点が多いのではないでしょうか。

今年のベルギー選手権、そしてその後に控えるツール・ド・フランス。ベルギーのスターたちが、どのような表情で、どんな走りを見せてくれるのか。目が離せませんね！次回の記事もお楽しみに！...