レムコの強さ、予想以上だった

モナコからサイクルロードレースを見つめる中村 リサです。

SNSのタイムラインを追っていると、選手の何気ない投稿や、チームスタッフの言葉の端々から、彼らの知られざる一面が見えてくることがあります。今回、フランスのスポーツ紙に掲載されたあるインタビュー記事から、一人のトップ選手の驚異的な回復劇と、それを支えた人物の深い絆が浮かび上がってきました。

主役は、昨年末のトレーニング中の落車で再び怪我を負ったレムコ・エヴェネプール選手。そして彼の復活を間近で見守り続けた理学療法士、Thijs Herstens氏の言葉です。

絶望からのスタート - 繰り返された落車の悪夢

2023年12月、オフシーズンのトレーニング中にレムコ・エヴェネプール選手は再び大きく落車しました。右鎖骨を再び骨折し、さらに右手と肋骨にも亀裂が入るという、聞くだけでも痛々しい怪我でした。2020年のジロ・デ・ロンバルディアでの恐ろしい落車を思い出された方も多いのではないでしょうか。

今回の怪我でも、レムコ・エヴェネプール選手が頼ったのが、2021年から彼のフィジカル面を支え続けている理学療法士のThijs Herstens氏です。アンヴェールを拠点とするThijs氏は、レムコ選手の度重なる怪我からの復帰をサポートしてきました。

今回の落車後、レムコ選手は手術を経て、実に7週間から8週間近くも自転車に乗ることができませんでした。トップ選手にとって、これほど長い期間ペダルを回せないというのは、想像以上の困難を伴うはずです。Thijs氏はこの期間を振り返り、「特に精神的に非常に困難な時期だった」と語っています。

期待以上のパフォーマンス - 理学療法士も驚く回復力

しかし、皆さんご存知の通り、レムコ・エヴェネプール選手の復帰後のパフォーマンスは目覚ましいものでした。復帰戦となったブラバンツ・パイルでは、あのワウト・ファンアールト選手との一騎打ちを制して優勝。続くアムステル・ゴールドレースでは3位、そしてフレッシュ・ワロンヌでは落車に巻き込まれながらも9位と、アルデンヌ・クラシック初戦からトップ戦線に絡んできました。

この驚異的な回復スピードと高レベルな走りに、最も驚いていたのは他ならぬThijs Herstens氏自身でした。

「正直、かなりびっくりしました。怪我の前に1ヶ月、手術後に3週間と、合計で7〜8週間近くも自転車に乗れなかったんですよ。彼のレベルの選手にとって、これは途方もない期間です。だから、こんな短期間で戻ってこれたのは本当に印象的です。」

Thijs氏は、復帰後の数レースはあくまでレース勘を取り戻すためのものになると予想していたそうです。集団走行、ポジショニング、ボトルの受け取りといった基本的な動作から、レース中の細かい駆け引きまで、すべてをやり直す時間が必要だと考えていた。しかし、レムコ選手は予想を遥かに超える強さで戻ってきた、と。

特にThijs氏が驚いたのは、レムコ選手の「爆発力」だと言います。ブラバンツ・パイルやアムステル・ゴールドレースで見せたスプリントは、怪我をした右肩の安定性に不安があったため、リハビリ中に十分に鍛えられなかった部分だからです。それにも関わらず、あの力強いスプリントを見せられたのは、レムコ選手自身の天性の才能と、隠れた努力の賜物なのでしょう。

もちろん、Thijs氏の目から見ても、まだ完全に落車前のレベルではないとのこと。「オリンピックの頃と比べると、まだほんの少しだけ足りないかもしれない。でも、これだけのパフォーマンスを見せているのは間違いなく素晴らしいことです」と冷静に分析しています。

見えない苦悩 - SNS投稿に隠された本音

レムコ・エヴェネプール選手は、リハビリ期間中に自身のInstagramで「これまでの人生で最も困難な戦いの一つだった」と投稿しています。モナコから彼のSNSを追っていた私も、その言葉に胸を締め付けられる思いでした。

Thijs Herstens氏も、この期間のレムコ選手の精神的な辛さを肌で感じていたようです。

「最初の数週間から、彼にとって精神的に非常に厳しい時期でした。どんなに実績のあるチャンピオンでも、常に疑問や不安がつきまといます。『本当に戻れるのか？』『どのレベルまで戻れるのか？』と。」

特に今回は、練習ができないこと、いつ復帰できるか分からないこと、そして何よりも以前のレベルに戻れないかもしれないという「恐怖」が、彼を深く苦しめたと言います。過去の落車からの復帰経験があったとしても、その度に違う苦しみがある。今回は特に、笑顔を取り戻してもらうために、より一層の励ましとサポートが必要だった、とThijs氏は語っています。

SNSの投稿は、時に選手がファンに見せるための「表向き」の顔であることもありますが、あの時のレムコ選手の投稿は、まさに彼の心の奥底からの叫びだったのでしょう。彼の強さだけでなく、人間的な脆さや苦悩を知るからこそ、彼の復帰劇は私たちファンにとって、より一層感動的なものに映るのです。

いざ、リエージュへ - 最高の状態で挑む「古女房」

さて、いよいよアルデンヌ・クラシックの女王、リエージュ〜バストーニュ〜リエージュが迫ってきました。Thijs Herstens氏は、現在のレムコ・エヴェネプール選手のコンディションについて、力強く語っています。

「ええ、完全にリエージュに向けて準備はできています。日曜日は勝てますよ。」

リエージュ〜バストーニュ〜リエージュは、短い急坂が連続するコースプロフィールが、レムコ・エヴェネプール選手の得意とするところです。フレッシュ・ワロンヌでの落車にも関わらず、レース後のレムコ選手は自身のコンディションに非常に満足していたと、Thijs氏は明かしてくれました。復帰後の3レースは、彼に自信を与え、最高の状態でリエージュに臨むためのステップとなったのです。

リエージュでは、タデイ・ポガチャル選手との直接対決が注目されています。Thijs氏は「激しい戦いになるでしょう」と認めつつも、レムコ選手の勝利を確信している様子。長年、文字通り彼の体を支え、心の機微にも寄り添ってきたThijs氏の言葉には、揺るぎない信頼と自信が感じられます。

まるで「古女房」のように、レムコ選手を深く理解し、支え続けるThijs Herstens氏。彼の存在なくして、今回の驚異的な復帰はあり得なかったでしょう。

リエージュ〜バストーニュ〜リエージュでのレムコ・エヴェネプール選手の走りが、今から本当に楽しみです。怪我からの苦悩を乗り越え、最高の状態でスタートラインに立つ彼の姿を、モナコから、そして日本の皆さんと同じ気持ちで見守りたいと思います。