デュムランがリンゴでなくキウイを懇願

トム・デュムラン、プロ時代の「食事制限」に苦悩 - キウイを求めて懇願した夜

グランツール覇者、タイムトライアル世界王者。輝かしいキャリアを誇るトム・デュムランが、プロ時代の知られざる苦悩を明かしました。それは、彼の成功を支えたはずの「食事制限」が、時に彼を追い詰める檻となったという話です。私もヨーロッパの現場で多くの選手を見てきましたが、トップレベルであればあるほど、その自己管理は想像を絶するものがあります。しかし、デュムランのこの告白は、その厳しさのさらに奥にある、人間的な葛藤を浮き彫りにしています。

成功の絶頂で直面した「ケージド・ライフ」

２０１７年、トム・デュムランはジロ・デ・イタリアで総合優勝を果たし、タイムトライアル世界選手権でもタイトルを獲得。まさにキャリアの絶頂期にいました。しかし、その成功と引き換えに、彼の生活はより一層厳格な管理下に置かれることになります。シャポー・マガジン誌のインタビューで、デュムランは「食事に至るまで、突然すべてが私にとって決められるようになった。それに耐えられなかった」と語っています。

プロスポーツの世界では、パフォーマンス向上のため、食事管理は不可欠な要素であるのは間違いありません。特にトップ選手であれば、栄養士が作成したメニューに従うのが一般的です。しかし、デュムランの場合、それは単なるガイドラインを超え、彼の自由を奪う「ケージド・ライフ（檻の中の生活）」のように感じられたというのです。

リンゴかキウイか？ 微細な食事が引き起こした議論

デュムランが語ったエピソードは、その管理の異常さを物語っています。ネバダでの高地合宿中、選手たちは自炊をしていたそうですが、栄養士が作成したメニュー通りの食材しか購入が許されなかったのです。「ある日、メニューにはリンゴがあった。でも私はキウイが食べたかった。すると、帯同していたスタッフはスーパーでキウイを買ってはいけないと言うんだ」。

「リンゴでもキウイでも、何が違うんだ？」とデュムランは問いかけます。しかし、この素朴な疑問は、スタッフとの議論、遠隔にいる栄養士との議論へと発展し、最終的にはチーム全体でのビデオ通話にまで持ち越されたというのです。グランツールを制した世界トップクラスの選手が、たった一つのキウイを食べるために、チームの首脳陣とビデオ通話で懇願する。想像するだけで、なんとも滑稽であり、同時に痛ましい光景です。

科学的データと現実の乖離 - 栄養士への疑問

デュムランは、自身が決して栄養に対して無頓着だったわけではないと強調しています。むしろ、様々な研究論文を読み込み、栄養に関する知識を深めようと努めていた、と。だからこそ、栄養士の計算に対する疑問が尽きなかったのです。

「走行時間と平均ワット数に基づいて消費カロリーを計算するのは分かる。でも、下り坂ではワット数はゼロだ。何もカロリーを消費していないのか？ いや、集中してハンドルを握っているし、心拍数だって上がっている。加速のためにコーナーの立ち上がりでスプリントすることもある。消費は続いているのに、栄養士の計算にはそれが反映されないんだ」。さらに、「夜、ソファで寝転がっているのか、犬と散歩しているのかで、総消費カロリーは大きく変わるだろう？ そんな多くの要因が影響するのに、厳密に計算して、パンをほんの少しだけちぎり取れ、なんて言われても理解できない」と、科学的アプローチの限界と、現実の生活との乖離に苦しんだ胸中を明かしています。

「質問しても納得のいく答えが得られない時、私はおかしくなりそうだった。みんなで馬鹿げたことをしているだけじゃないか、と」。彼の言葉からは、単なる食事への不満ではなく、アスリートとしての探求心と、それに答えられないシステムへのフラストレーションが痛いほど伝わってきます。

引退後の新たな挑戦 - グラベルへ向かう自由

プロロードレースの世界から引退した今、トム・デュムランは新たなサイクリングの形を見つけています。それは「グラベル」です。２０２５年には、グラベルレースの最高峰であるアンバウンド・グラベルに初挑戦する予定だといいます。ライド・マガジンの次号では、彼がアヌースカ・コステルと共に、自転車への愛、レース、そしてアンバウンドへの準備について語ったインタビューが掲載されるとのこと。

プロ時代の厳格な管理から解放され、自身のペースで自転車を楽しむデュムラン。彼の新たな挑戦は、過去の苦悩を乗り越えた先にある、自由なサイクリングの喜びを体現しているように見えます。

トム・デュムランの告白が示唆するもの

トム・デュムランの「キウイ事件」は、トップアスリートが直面する極限の管理と、その中で失われがちな人間性の一端を示しています。科学的なアプローチは重要ですが、それだけでは割り切れない感情や、個々の選手の感覚もまた、パフォーマンスに影響を与えるのではないでしょうか。彼の告白は、プロスポーツにおける管理のあり方、そしてアスリートのメンタルヘルスについて、私たちに深く考えさせるきっかけを与えてくれます。引退後、グラベルの世界で輝きを放つ彼の姿を見るにつけ、彼が本当に求めていた「自由」の意味を改めて感じさせられます。